【ブログ】公的年金の繰下げ受給は是か非か?

2019年に金融庁が提出した、金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書にある所謂「老後2000万円問題」が大きな話題になったのを記憶されている方も多いと思います。これは平均的なモデル事例に過ぎなかったのですが、その中の「年金だけでは2000万円不足する」というデータ部分のみが一人歩きして大きな波紋を呼びました。

皆様の場合は如何でしょうか?不足が心配という方の対応策は色々考えられるのですが、会社員の場合は定年延長や継続雇用を使って65歳以降も働く、自営業の場合も元気なうちはできるだけ長く働く、等との合わせ技で、公的年金の繰下げ受給を検討するのは有力な対策の一つと考えられます。

ただし、安易に繰下げ受給を選択して思わぬ落とし穴にはまるというケースもあるようです。今回は公的年金の繰下げ受給の是非について考えてみたいと思います。

公的年金繰下げ受給のメリット

公的年金は原則65歳から受給しますが、受給を1年(12カ月)以上遅らせることにより受給額を増やすことができます。

66歳までは月単位に細分化できませんが、それ以降は月単位の繰下げ延長が可能です。繰下げにより1カ月当たり年金額を0.7%増額させることができます。そして最長75歳まで繰下げることができるのです(昭和27年4月1日以前生まれの方は70歳まで)。70歳まで繰下げると42%、75歳まで繰下げると84%年金額が増額となるわけです。

ですから、例えば、「本来の年金額では年金生活に入った後に預貯金や他の金融資産を取り崩していく必要があり何歳までもつか不安」「繰下げれば預貯金の取り崩しは必要ない又は僅少の取り崩しで済みそうなので安心して長生きできる」「繰下げによる年金受給待機期間は働くことで生活費程度はカバーできそう」というケースにはうってつけと言えるかも知れません。

一方で、繰下げて増額受給できても早く亡くなったら年金受給総額はかえって減ってしまうのでは、という懸念を持たれる方も多いかも知れません。

ただ1つ留意すべき点は、公的年金というのは「保険」なのです。国が介在して(税金も年金維持のために使われています)、短命に終わる方の保険料も長生きされる方の年金額に補填することで、国民全体の生活維持に寄与して長生きリスクにも備えるという考え方です。安心して長生きできる(生涯にわたって年金で生活を支えられる)ということはセカンドライフの大きな精神的サポートとなります。

ただ、何歳まで生きれば繰下げの元が取れるのかについて目安をチェックしておくのは、繰下げ期間の検討に有益かも知れません。概算値を単純計算してみると、70歳繰下げの場合は81.9歳、75歳繰下げの場合は86.9歳となります。これは、元が取れる分岐点年齢をx歳として方程式で表せば中学レベルの数学の知識で簡単に解くことができますので、興味のある方はお試しください。

例えば70歳繰下げの場合は、繰下げなかった場合と繰下げた場合で、年金累計額がx歳で等しくなるとする次の方程式を解けば、繰下げの効果が出る分岐点年齢の目安を求めることができます。xが約 81.9となることをご確認ください。これ以上長生きすれば計算上は繰下げの効果が増大することとなります。

  100(xー65)=142(xー70)

しかし、これは単純な理論概算値で、実際に自分にとってどうかはもう少し深掘りする必要があります。そこで、次の点について考えてみたいと思います。

★繰下げ受給の問題点・留意点

★自分の適正繰下げ期間は?

自分の適正繰下げ期間は?

繰下げを前向きに検討するとしても、いつまで繰下げるかは悩ましいですよね?

そこで、統計値に基づく検証をしてみたいと思います。厚生労働省が去年(2024年)の7月に発表した「令和5年簡易生命表」によると、日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.14歳とあります。上記によると5年繰下げの効果が出る分岐点は81.9歳まで生存、10年繰下げの効果は86.9歳まで生存となりますので、平均的には男性は70歳まで5年繰下げが、女性は75歳まで10年繰下げがほぼ分岐点と分かります。ただ、同資料の65歳時の平均余命を見ると男性19.52年、女性24.38年ですので、65歳まで生きれば、男性は84.52歳まで、女性は89.38歳まで平均的には生きることになります。公的年金の繰下げを決めるのは65歳時ですから、平均余命で判断する方が適切かも知れませんね。これだと繰下げ効果は平均寿命で判断するより拡大することとなります。以上を整理すると表1になりますのでご確認ください。

ただ、繰下げること自体の判断は65歳時ですが(単に年金受給の手続きをしなければ良い)、いつまで繰下げるかは65歳時に判断する必要がない、というのは繰下げの大きなメリットの一つです。自分の健康状態、経済状態等を踏まえて、いつでも受給開始の手続きが可能だからです(ただし繰下げの増額は66歳に達するまでは反映されません)。なお、急にお金の必要が生じた場合には繰下げ受給分について最大5年分は過去に遡って一括受給することも可能ですが、この場合は過去に支払った保険料、税金等に影響が出る場合がありますので注意が必要です(詳細は省略します)。

以上を整理すると次のようになります。

①公的年金繰下げによってご自身の生涯にわたる経済的安心感が生まれるという方は繰下げを検討する意義がある → 増額された受給額は生涯続くので、長生きして生活費が枯渇するという所謂「長生きリスク」対策に有効

②何歳まで繰下げるかは生活に安心を与える受給額になるまで繰下げるという考え方はあるが、繰下げ待機期間の生活費をどうするかの問題解決が必要なのと、繰下げによる平均的な損得も気になるところ

③「平均的には」、男性は70歳まで、女性は75歳まで繰下げても元が取れ、分岐点年齢(表1参照)を超えて長生きすれば、繰下げ効果が更に増大して生涯の累積受給額を増やすことができる

④繰下げ期間は最初に決める必要がないので、自分や家族、家計の状況によって、後から柔軟に選択できる

ただし、③はあくまで年金額名目値ベースの繰下げ効果の平均値を目安として示したものであり、現実的・実質的にはこれが正解とは限りません。その具体的留意点については次に述べます。(※)著者作成

繰下げ受給の問題点・留意点

以下、留意すべき主な点を列挙します。一部上記と重複します。

(1)繰下げ待機期間中は当然ながら年金収入はない

この期間は働いて収入を得る、企業年金や預貯金等を取り崩して生活費に充てる、等の対策が必要となります。

(2)お金は有効に使えるときに使うべきである

年金額が増えても、受給時にはすでに体が弱っていて、行きたいところに行けない、好きな食べ物が美味しく食べられない、という状況になったのでは、繰下げないで早めに楽しんだ方が良かった、となりかねません。すでに繰下げを始めていても、こういう状況になりそうなら繰下げを中止して受給を始め、少しでも早めに人生謳歌を図った方が良いでしょう。

(3)繰下げで年収・所得が増えると税・社会保険料も通常増える

年収・所得の増加に伴い、所得税・住民税だけでなく、国民健康保険料・後期高齢者医療保険料、介護保険料等の社会保険料も増加し、繰下げによる増収効果の一部が相殺される可能性があります。元々公的年金額が少なければ繰下げによる増収効果が実感できますが、本来の公的年金額が多い方は、税・社会保険料の増大の方が気になるといったケースも起こりえますので、その点について予めチェックすることをお勧めします。

(4)老齢厚生年金の加給年金が繰下げ待機期間中は支給停止となる

加給年金というのは、生計を維持している65歳未満の配偶者や一定の年齢の子がいるときに支給される老齢厚生年金の家族手当のようなもので、配偶者加給年金は現状、特別加算を含めて年に約40万円です。生計を維持している配偶者が年下で年齢差も大きい場合にはこの支給停止が繰下げのメリットを相当に減殺することになりますので留意が必要です(配偶者加給年金は配偶者が65歳に達すると支給停止となります)。ただし、加給年金は老齢厚生年金に付随するものですので、基礎年金(国民年金)のみ繰下げればこの問題を回避することができます(年金の繰上げは一括となりますが、繰下げは基礎年金と厚生年金を独立に行うことができます)。

(5)その他の主な留意点

  • 繰下げ受給の対象となるのは、受給権発生(65歳)の前月までに加入した年金です。定年延長や継続雇用を含め、65歳以降加入した厚生年金については増額の対象外となります。
  • 繰下げ待機期間中の在職による支給停止額は増額の対象外となります(所謂在職老齢年金の話しです)。
  • 66歳以降繰下げ待機中に他の年金(遺族年金等)が発生するとその時点で増額率が固定されますので、速やかに受給手続きする必要があります。
  • 繰下げ待機中に死亡した場合、65歳以降受給できた年金は同居の遺族が未支給年金として受給できますが、この場合の年金額は増額のない100%の年金額で最大5年分となります。

まとめ

公的年金の繰下げは、増額分が生涯続きますので、特に繰下げ効果で年金受給開始後は金融資産を取り崩さなくても基本的生活に支障を来さないと見込める方には、金銭的に大きな安心材料になります。仮に思ったほど長生きできずに繰下げ分を回収できないということになっても、生涯にわたって金銭的に困らないという安心感を持って生活していけるという精神的メリットは大きいと考えます。一方で、生活を切り詰めて繰下げしたのに体を壊して、受給開始後に年金増額分を満喫できずに後悔すると言うこともあり得ます。

ご自身のライフプランを含めて総合的に判断することが必要です。判断の前提としてはご自身のキャッシュフロー表を作成されることをお勧めします。公的年金を繰下げなくても十分セカンドライフを楽しめそうなのに必要以上に繰下げると税・社会保険料の増大といった弊害の方が目立ってしまうケースもあるからです。

キャッシュフロー表というのは、ご本人やご家族の年齢や想定イベント、毎年の収支や金融資産保有額等を年単位で記録、推移を将来にわたってシミュレーション(推定)するものです。公的年金を65歳から受給するとどうなる、70歳まで繰下げるとどうなる、などいくつかのケースをシミュレーションして比較評価することも可能です。エクセルを使えればご自身で作成することも可能ですが、自信がないという方は我々KFSCを活用されるのも一法です。リーズナブルな料金でお手伝いさせていただきます。金融機関等がサービスでやってくれるケースもあるようですが、手数料の高い金融商品を買わされないよう注意が必要です。

公的年金受給をどうするかを含めて総合的なライフプランニングを実施されて、有意義なセカンドライフを目指して下さい。皆様のご健闘とご健勝を心よりお祈りいたします。

この記事を書いた人

鈴木康文
鈴木康文KFSC理事 ファイナンシャルプランナー
専門分野

金融資産運用設計、ライフ・リタイアメントプランニング

主な資格

CFP®・1級FP技能士